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"iratsume" ->> Nihongo ->> 「分野別」FLA・いらつめ活動報告 essays/activism ->> 三本柱はフェミ・レズ・アート―いらつめ発足に関するノート (1) by mike いらつめってどういういきさつで始まったんですか?と聞かれる度に話を変えてしまっている気がするので、記憶がすっかり変容する前に一度経緯についてmike的に書き記しておくことにした。 きっかけは、いらつめスタッフのジャニスがその頃1人で立ち上げていた『フェミニズムとレズビアン・アートの会』のワークショップが2001年12月に私が通っていた京都精華大で開かれたからだ。その頃の私はそれまで関心があった女性解放を謳った活動に頭打ちを感じていた時だった。 今開催中の読書会で参加者の一人の方が自己紹介で「80年代フェミニストです」と自身を語ったのが面白かったのでさっそくマネをさせてもらったのだが、私は言うなれば「90年代フェミニスト、2000年代レズビアン」だ。読書会で取り上げている「レズビアン・アートの歴史("Lesbian Art in America: A Contemporary History")」の文中で著者のハモンド(Harmony Hammond)が紹介している、「フェミニズムは理論であり、レズビアニズムは実践である」という言葉がある。そのくだりについ笑ってしまったが、本当にその通りに生きてきている自分に笑えたのだ。これは、私が政治的にレズビアンになったという意味ではない。自分の生きにくさにいくら理屈をつけてみても状況は変わらないので、どうせ生きにくいなら自分に正直に生きたいという心境の変化がレズビアンであるというカミングアウトへの道のりにつながったという訳だ。 私の「90年代フェミニスト」時代はお茶汲み問題、男女の賃金格差、婚外子問題、夫婦別姓、女性への(性)暴力、女による女のための祭り、などなど勉強会に足を運んだ時期だった。そこで語られている中に何かしら私が感じている生きにくさのヒントがあるように感じていたからだ。 集会でハキハキ発言し、日本語じゃ言いたい事の要点がつかめないと英語で話し、何かあれば社会に対して抗議をするという女の人たちが複数いるという現場を目のあたりにしたのだ。それまでの私はナマイキな女子として一人で生きて来ていたけれど、そう振る舞ってしまう自分はどこかおかしいんじゃなんじゃないかと思っていた。だから変人でナマイキな女たちが大勢いる事に素直に感動したのだ。 しかし、自分の口から自分が感じている事が言葉になるには相当な時間がかかった。「女の生きにくさ」という大きい枠組みで情報収集するしかなかったからだ。東南アジアの売買春問題、見知らぬアメリカのフェミニストの話、私が生まれた頃である1970年代のウーマンリブの話など、夢中になって聞いた。自分にも関わる近しい問題であるという感覚と、どこか遠い国や昔に起こった私じゃどうしようもない問題や考え方だという感覚が心の中に同居していた。何しろフェミニズムに足を突っ込み始めた当時、私は学生だったし、その後はフリーターで結婚にも興味が持てず、色々と勉強したにも関わらず一見具体的な女性問題が目に見えて降りかかってこなかったのだ。 フェミニズムと関わりを深めるなかで、活動にはオープンな活動とクローズドな活動がある事を知った。女性の利権運動に関わる問題は声高に、セクシュアリティやセックスなど性に関わる個人的な話題は帰り道や遊び、旅行に行った時などにぽつりぽつりと話題にされた。その中で段々気づいたのは、私が当事者として困惑していた事柄はパブリックに闘える女性問題ではなく、クローズドになりがちで、何より誰しもが口に出しにくいという点が問題だったのだ。ここでは欲しいサポートは得られない。息苦しくなってしまった東京生活に見切りをつけ、私の「90年代フェミニスト」時代は終わった。 >> つづき (2) >> mike <<参考URL>> http://selfishprotein.net/cherryj/indexj.shtml 読書会他、FLAの活動についての最新情報を確認できます。 http://selfishprotein.net/cherryj/2001/seika.htm 16.04.06 Copyright © 2002-2008 "iratsume." All Rights Reserved. |