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「どうしてレズビアンになったの?」

カムアウトしたことのある、少なくないレズビアンが(男性加害者による)性暴力をうけたのではないかと聞かれていると思う。

実際に、レズビアンが過去性暴力被害にあったと回答する率は(こういう調査は被験者数が極端に少ないし比較的限られた地域でしか行われていないから注意が必要だけれども[1])、性的指向等を問わない集団を対象にした調査結果と比べて高いようだ。これについての説明の一つとしては、性的少数者といわれる人たちが自分自身のセクシュアリティについて深く考えることが、そうでない人たちより多いからだという。

大多数のクイアは、自分が何者かを一から探すから、成長過程や育った家庭環境など自分自身の過去を詳しく顧みたことがあると思う。だから過去の性暴力被害が記憶の表層に現れている確率も、それを自分の経験と認識している確率も、こういったアンケートにそうだと回答する確率も高くなるのではないかというのだ。
また男性と比べて女性が性暴力にあうことは圧倒的に多く、レズビアンもその例外ではない。だから、男女含めた集団よりも、女性だけの集団を対象とした場合の方が性暴力被害者の割合は高くなる。[2]
私は「女ではない」身体が欲しかっただけだ。それはなぜかと言われてもよく分からない。子どもの頃、性暴力にあったわけでもなければ、女が好きだから男にならないと、と思ったわけでもない。ただ、女の身体であるよりも男っぽい身体の造りになる自分が好きだっただけだ。(田中玲「女である、ということ」2004年12月4日付; 下線はJanis)
こんな風に言い切れたらどれほどいいだろうと思っていた。他でもない自分が、男の加害者からの性暴力を受けていたことは長い間秘密だった。今思えば秘密だった期間はそんなに長くないのだが、当時はそれが永遠に続くと思っていた。レズビアンだというと何か不幸な事件があってそれを機に女好きになったんじゃないかといわれることがあったり、家庭環境の悪さを疑われたりするのだが、私の場合はそういう言いがかりは全く根拠のないことでもないように思えるので、こういう話題を振られるとずいぶんと図太くなったいまでもドギマギすることがある。

今の私は自分のことをレズビアンというけれど、初めて女とセックスした時点では私のレズビアン・アイデンティティなんてなかった。実際、私は(ステレオタイプな)「同性愛者」じゃないと思春期以降一貫して何年も思っていたし、女の恋人ができてからも“女と見れば見境なくおそってくる『男』みたいな”「レズビアン」ではないと言い聞かせるのにそれなりの労力を費やしていた。しかし、レズビアンだという以上に問題だったのが性暴力サバイバー [3] だと認めることだった。そのことが自分に起こったと理解するには、自分がレズビアンであることを理解する以上に時間がかかった。

というのも、女に欲情する女という部分については、セックスしたり恋人がいたり友だちができたりコミュニティに出会ったりして、次々と楽しくて刺激的な出来事が起こるし話相手もすぐ見つかったんだけれど、サバイバーである部分については一つも良いことが起こっていないように見えたからだ。しかも記憶がつながり始めた時期、私は当時の自分にとって人生最悪の鬱状態に陥っていて、生きていることそのものが本気でつらかった。

その鬱状態がとりあえず薬とカウンセリングと移住で好転した頃、自分がレズだという確信を得たものだから、それはすばらしく解放感があった。たぶん、卵から孵ったヒナドリが初めて見たものを母親だと思い込むみたいに、タイミングよく出会ったゲイ・コミュニティとレズビアンの友人がいたことが大きかったんだと思う。オフラインとオンライン両方のゲイ・コミュニティがその当時の私にとって、自分がここにいていいのだと初めて思えた場所だった。

「どうしてレズビアンになったの?」と聞かれたら、たいていはその人が聞きたいことを探り当ててから話すことにしている。時々ならなくてもいいのになったと思っている人や、レズビアンなんて病気だと思っている人もいるようだ。そういう人は私個人にはどうせ興味がないだろうから、正規分布とヒトのセクシュアリティについて講義を打つことにしている。こういう話をすること自体は好きだし。

私は、同一人物がレズビアンでもありサバイバーでもあることは、個人的な経験から全く不幸ではないと思っている。私の人生にはもっと別の大変な不幸があったし(おいおい)、レズビアンであるがゆえの、サバイバーであるがゆえの幸運もあったと思う。それから最大の幸運は私がレズビアンであることとサバイバーであることが他のことと同様に補完し合って今の私を支えている点じゃないかと思う。

○○であるがゆえの幸運ってのは、もしもそうでなかったらどんな人生が待ち受けていたか分からないから実は説明しきれないけれど、私にとっては自分が○○だったからこそ出会えた人たちがいるということだ。

レズビアンだのサバイバーだのとそこらじゅうで言いまくっていたからつながった人脈だとか、差別的な発言や仕組みに敏感でい続けざるを得なくてちょっとは視野が広がっただろうことだとか、サバイバーだったから書いた詩だとか、ハマッタ歌だとか、気がついたら「フェミニズム」に興味を持っていただとか、レズビアンだと言いまくっているので本をもらったとか、それがまた面白かっただとか、レズビアンばっかが出てくるドラマに触発されておしゃれしたくなったりだとか、まあそういう幸運が適度に頻繁にあって、一部の人たちから見れば大変不幸であるにも関わらず、ここまで生き延びている。

Janis Cherry
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    [1] 15年くらい前に調べたので元ネタは覚えていません。ごめんなさい。私が読んだのは合衆国内の調査だったと思う。
     
    [2] ただし、性別が何であれ、性暴力被害が訴えられることは実際の発生件数よりずっと少ないから、現実にどのくらいの割合の異性愛者が、非異性愛者が、女性が、男性が、レズビアンが、性暴力被害にあっているかは分からない。
     
    [3] サバイバーという言葉についての説明はここに少し書いています。
  • 分科会報告:「性暴力・虐待サバイバーのパートナーにできること」@関西 WE 2003 (Janis) 11.03
    http://selfishprotein.net/lesart/jap/2003/031114a.shtml



    18.10.05
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