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女である、ということ

LGBTI(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、インターセックス)に開かれた場で、ある女装家の人に顎髭をじっと見つめられた。ホルモンが利いているかどうか確認するためだと思うが、すごく顔を近づけてくるのが恥ずかしかったので「やめてくださいよぉ」と言うとなぜか「女がまだ残ってるね」(笑)と言われた。「別に女をやめたいとは思いませんから」と答えると、横で聞いていた友達は肯定的に「玲さんがそれはないやろね」と笑ってくれた。

私はFTM(female to male)系トランスジェンダー(性別越境者)で男性ホルモンの注射を打っているが、別に男性になりきりたいとは思わない。約30年ほど、ずっと女性であった経験は大切だと思うし、そうだからこそ分かることもたくさんある。しかしFTM系ということで、「男になりたい」強い意志を持っている、と解釈されるのもよくあることだ。当事者の中でも、女であった経験をなきものにしたり、自分自身を否定したりし、完全に最初から男であった男として生きたい人がたくさんいることも私は知っている。

私は「女ではない」身体が欲しかっただけだ。それはなぜかと言われてもよく分からない。子どもの頃、性暴力にあったわけでもなければ、女が好きだから男にならないと、と思ったわけでもない。ただ、女の身体であるよりも男っぽい身体の造りになる自分が好きだっただけだ。

私は初潮が15歳と遅く、両親は心配していたが、すごく楽だった。だから、私は小学生の頃から自分がインターセックスではないかと思っていた。やっと来た時、これで産婦人科に連れて行かれなくてすむという安堵感はあったが、がっかりしたのを覚えている。それから15年、私は月経のある人生だったが、男性ホルモンを打ち始めて止まり、また楽になった。もともと妊娠したい、子どもが生みたいという願望はなかったので、単に邪魔だったのだ。

女である、とはどういうことだろう。化粧の経験もなく、短髪で、パンツルックしか身に付けていなかった私と今の私は、体毛が濃くなり、筋肉質になった以外は自分ではそれほど変わりがないと思う。しかし、一般社会の反響はそうではない。

まず、今は女性用スペースに入ると痴漢と間違われるリスクを負わなければならない。トイレ、脱衣所、銭湯然りである。しかし、私はまだ乳房切除をしていないので、男性用もトイレくらいしか使えない。もしも社会が完全にジェンダーフリーで、男女とも共通のスペースだったとしても、髭が生え、筋肉質だが、胸のついている私は多分奇異な目で見られるだろう。

ジェンダーイメージというのは本当に強固なものなのだなと、トランスを始めて実感する。これは実際にトランスした経験のある人でなければ分からないに違いない。ジェンダーを移行すると見えてくるのは、世の中は本当に女と男に分かれているんだということだ。これはインターセックスの人や、不本意にも移行中のトランスジェンダーの人については辛いに違いない。人を見る価値観が男女で変わってくるからだ。

以前、フェミニストの人たちのドメスティックバイオレンスについての講演会に出かけたことがある。男性でも歓迎だったので安心だったのだが、結局男に見えるのは私と、同じFTMであるパートナーの二人だけだった。受付で「男性にも来てもらえてうれしいです」と言われ、言葉を失くした。「実はトランスジェンダーで」とは言えなかった。あの素晴らしいイベントにただの一人もネイティブな男が来なかったというのも腹立たしいが、私たちがそこにいることで何かを期待させてしまったかと思うと、罪悪感があった。

これは価値観の違いはあるにしても、あらゆる社会で同じであることである。フェミニストであっても勘違いの仕方は同じなのだ。女である、男である、というのはどういうことか。それは結局他人から見てどう見えるか、ということに過ぎない。しかし、そこに過剰に意味づけられていることこそがジェンダーなのだ。

男に見えると得をすることがたくさんある。女に見えると損をすることもたくさんある。特にセクハラ、性暴力に関することで女は男に搾取され暴力にさらされる。私は女性を搾取したいとは思わない。だが、男に見えることで、不必要に女性の警戒心をあおり、距離を感じる。だから、男であることを引き受けざるを得ない。トランスして一番損をしているなと思うのはそのようなことだ。だから、逆にパスしているMTFの場合だったら、女性から見て親和性があるに違いない。トランスジェンダーは世の中にそれほど多くはない。だから、見た目でなく、内実で判断して欲しいと言っても、なかなかうまくいかないだろう。

この中でどう生きていけばいいか。見た目は男でありながら、女であった経験を持つ、ということ。それが私自身の本当の姿だ。トランスし始めたことによって失ったものもたくさんあるが、境界線から見えるものをたくさんの人に伝えたい。私は今、そう思っている。

Text by Ray Tanaka
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    04.12.04
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