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“良心的”診療拒否も許すな:マジョリティでマイノリティ (2)
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ところが一方で、アメリカ医師会の同性愛者の患者に対するポリシーはこんな風に書かれている。これは2000年に修正されたもの。
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つまり、同性愛者に対する差別がこの社会にあることをアメリカ医師会は分かっていて、そのせいで同性愛者が受ける不利益も知っている。差別があることを無視しないでいるためには、「あえて」言葉にするしかない。これが「修正」なのは、今まであったポリシーに沿って、特に強調・肯定しているという意味での「修正」であって、今までにゲイに対して差別的なポリシーを持っていなかったとも宣言している。このポリシーを読んでいてうれしくなるところはゲイ・レズビアンコミュニティと協力して、という辺り。この「修正」はゲイ・レズビアンの人権運動の成果でもある。

ところが、このアメリカ医師会倫理綱領に真っ向から反対する可能性のある法律案が2004年4月にミシガン州議会の下院を通ってしまった(上院通過はまだ)。「可能性」と書いたのはこの条文がどうとでも解釈できそうだからだ。「倫理的、道徳的、宗教的な理由」があれば医療行為者は診療拒否できるのだが、これが何を示しているのか、この法案を読んだだけではちょっと分からないようにできている。
"A health care provider may object as a matter of conscience to providing or participating in a health care service on ethical, moral, or religious grounds." [3]
たぶん、真っ先に診療拒否を許したかったのは妊娠中絶と避妊(医療行為・指導)と思われる。他にクローン技術や生殖医療といわれるもの、安楽死のこと。でもこの曖昧な定義からいうと、同性間の性行為で病気になった人の治療も拒まれそうな気がする。ネットで検索した限りでは、特に妊娠中絶の権利を訴える団体と同性愛者の人権団体が、連帯して反対運動をし始めたようだ。[PlanetOut News: Gay doctors petition against Michigan bill (September 22, 2004)]

しかし他のタイプのグループ、例えば宗教少数者や少数民族のグループなども活動していると思ったのに、インターネットの検索に引っかかるこの法律案反対派といえばゲイ人権団体ばかり。女性団体もゲイと比較すると少ない感じだ。おかしい、と一瞬思ったが、よく考えたら当たり前かもしれない。

米国という国で今までから医療を受けられない人はすでにたくさんいたのだ。日本とは比べようもないくらいたくさん。特に経済的な理由でこれまでから多くの人が医療サービスを受けられずに来た。宗教上の少数派とも重なるだろう少数民族の属性を持つ人たちの多くは、健康保険の料金を払うのも困難なほど貧しく(日本のように『みんな』が健康保険に加入してはいない)、そして全額自己負担するには米国の医療費が高額すぎることは明白だ。この状況はちょっとくらい法律が変わっても変わらない。だから、米国在住の貧困層にとっては、金のあるなしに関わらずすべての人が医療サービスを受けられるようになることがとても大事だった。むしろもともとあった米国の医療制度に関する問題はもっと多数でずっと切実だったといえるかもしれない。ところが今まではお金さえあれば医療サービスを受けられた人が、今後はお金を出してもサービスを受けられなくなるかもしれない。これは問題だと分かりやすい。

いかにもアメリカらしいといってしまえばおしまいだけれど、今まで得てきたある意味『特権』が手に入らない事態に、過去特別不自由を感じてなかった人が焦っている。ある一面で自分たちがマジョリティであったことを棚に上げてこの国の人権意識はどうなっているんだ、と叫びたくもなる。これこそ『基本的』人権と思っていたことが、自分たちではない誰かの『特権』にされようとしていることに納得いくわけがない。

いくら差別というのは差別する側の問題だと言われても、問題は抑圧する側に、権力側にあると言われても、『特権』を奪われて、権利侵害を受けて、初めて自分が権力側にいたことに気づくことは多い。あまりにも人権が守られていない酷い状況では自分が差別されていることに逆に気づきづらいものだが、もともとあった『特権』をなくしたり、あると思っていた権利を侵害されることに人は敏感だ。一度人はみな平等だとか人間にはこうこうこういう権利があると宣言すると、その権利が一部に特権化されていて残りの人の分は奪われている不平等な事態は問題になる。自分も他人も等しく権利を持っているという認識を持つのと持たないのとでは見えてくるものが全然違う。

思えば医療制度に限らず、マジョリティでいる私が見落としていることは多い。非異性愛者だったから気づけた部分は多少あるのだけれど、他のマイノリティの存在を普段は相当忘れていて安穏と暮らしているんじゃないかと思うのだ。差別というのは差別する側の問題だとマジョリティに向かって言っているのに、自分がマジョリティになったときには、その自分の問題であることにそもそも気づかなかったりする。それでも自分が差別される側にいると知っている人は、自分が差別する側であることに多少でも気づきやすいのではないだろうか。だから、ある一面でマイノリティであることは、別の一面ではマジョリティな私にとって、フェアな人間関係を築いていけるチャンスだとも思っている。希望的観測。

Text by Janis Cherry
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    << 参考URL >>
  • American Medical Association (AMA)
  • AMA Code of Medical Ethics
    http://www.ama-assn.org/ama/pub/category/8600.html


    [3]
  • “良心的”拒否、というのは一般に兵役が義務の国で、それを個人の“良心”に反するとして拒否する際、免除される制度をさしてきた。とすると、医療行為を“良心”にしたがってに拒否することが今の米国で想定できるとしたら、妊娠中絶を胎児を殺すことだと考えている場合である。今回このタイミングでこの法案が出てきたのは、2004年秋の大統領選挙をにらんで共和党の保守派へのアピールと考えられている。
  • Conscientious Objector Policy Act (HB 5006)
    法律案本文。
  • Workers can refuse tasks on moral grounds: Richardville measure creates 'conscientious objector' clause (April 21, 2004)
    共和党、法案提出側のプレスリリース。
     
  • PlanetOut
  • PlanetOut News: Gay doctors petition against Michigan bill (September 22, 2004)
    http://www.planetout.com/news/article-print.html?2004/09/22/4

     
     
    28.09.04
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