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「理論の実践をローカルな部分から地道に」をモットーとしているのは、いらつめに記事を寄せてくれているユーキさんですが、そしていろんな人が Think globally, act locally と目標を掲げるのではあるけれど、難しいことだと思う。

そんなことを最近考えつつ。少し古いんですが、2003年5月に韓国の「梨花女子大で『レズビアン大論争』」なるニュース発見。学内でレズビアン文化祭を企画したグループがいて、かなり激しい妨害があったのだそう。(このグループ名、聞き覚えがありますね。KANG さんのソウルレポで名前だけですが出てきました。『変態少女空を飛ぶ』

自分が通う例えば大学なんかで、こんな風に大っぴらにマイノリティの人権運動をするってのは、かなりエネルギーの要ることです。私自身は、大学で Gay/Straight Alliance という名のゲイグループにいたので、政治活動に興味を持っているゲイの知り合いには恵まれていたけれど、仲間がいても「ど」のつくストレートの人たちに向かって何かをするのはきつかった。(そして実際のところこのグループでは政治活動らしきものはしなかったと思うが)

さらに一人なら、一人の気楽さ以上に活動なんてやるのは、どうしても厳しくなる。
一度、心理学のクラスでゲイアイデンティティ云々の発表をしたことがあって、そのときカムアウトすることになったのだけれど、その後ほとんどのクラスメイトはレズビアンの私を無視するようになった。これはいくつかとっている授業の一つでしかなかったから救われたが、もしも私が同じ面子と毎日顔をあわせなければいけなくて、気楽に話のできる人に恵まれていなかったら、あんな風に孤立することに自分は耐えられなかったのではないかと思う。

もちろんレズビアンとして生きていくだけで大変、ということもあると思うし、カムアウトなんて生死にかかわることもあるだろうけれど、セクシュアリティをアウトした上で活動していくときに、その場所が自分の『居場所』に近ければ近いほど軋轢は大きくなる。

出身・居住する市町村レベル、職場、通学先…今の生活に近い家族や親戚、かかりつけの医者やなじみの店員、幼馴染…そんな人たちが見ている場所で活動するのは、生活の基盤を揺るがすかもしれない。最初はカムアウトすることそのものでもあるが、付き合い方も自分が動き始めればおそらく変化するだろう。

自分の生活の場に近いほど、特にマイノリティへのサポートが少ない場所であるほど、性的指向にとどまらず、スティグマ(社会的にマイナスのレッテル)を引き受ける難しさは、際立つ。

例えば統計的にアメリカの田舎では都市部と比べて、レイプなど性暴力被害は少ない、となっているのだが、実際より少なく見積もられているのではないかという報告がある。"Rape May Be Most Common in Rural Areas (Women's eNews)"
被害者も加害者も、警察や病院の関係者もみな知り合い。そんな小さな町では性暴力についての認識が一般に保守的なことがとてつもない重荷で、結局通報されること自体少ない。

確かに匿名性を保てば、言い辛い立場の人がモノを言える。プライバシーは守られるかもしれない。インターネットは便利だ。けれども、それとは別で、顔の見える距離で、生活に近いところから動くことは、インパクトがあって、事を変えるのはそういう実践なんだと私は思っている。動くのは動ける「私」だし、そんな風にローカルで活動できる人を支えるのも「私」だ。もっと身近なところから、つながりたい。Think globally, act locally 自分自身に言い聞かせている。


Text by Janis Cherry
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    <<参考 URL>>
  • 梨花女子大で「レズビアン大論争」(朝鮮日報)2003年5月20日

  • Rape May Be Most Common in Rural Areas (Women's eNews) September 21, 2003



    30.10.03
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