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"iratsume" ->> Nihongo ->> FLA・いらつめ活動報告 ->> bell hooks "Feminism is for everybody" 読書会 2003年9月
->> 最新の FLA 主催イベント情報はこちら <<- http://selfishprotein.net/cherryj/indexj.shtml 毎週火・木曜日7時から、東京渋谷で読書会を開いています。参加者は現在のところ女性のみで少ないときで2人、多くて5人くらい。9月から始めたところで、一度だけでも、今から始めて続けての参加も出来ます。 テキストは、bell hooks(著)"Feminism is for everybody" (邦訳:「フェミニズムはみんなのもの」堀田碧(訳)新水社)。 ->> 本のレビューはこちら <<- 毎回1時間半で1章ずつ(合計20章)、英語内容の理解確認をした後、個別に読んでの疑問点や思ったことを話し合っています。以下、簡単にこれまでの経緯を説明しておきます。参加したい、と思われたら是非いらしてください。一度メールいただけると助かります。 Janis [ janis_cherry(at)selfishprotein.net ] はじめに 9.Sep // 1. フェミニズム 16.Sep // 2. コンシャスネス・レイジング( C R ) 18.Sep // 3. シスターフッド 23.Sep // 4. フェミニズム教育 25.Sep // 9月9日 Introduction 参加者は私を入れて5人。自己紹介をしてから読み始めました。 hooks 曰く(Janis 意訳): 「フェミニズムやフェミニストは誤解されていて、男は敵だと怒りまくりの女だとかレズビアンばっかとか男性の仕事を奪ったとか。 男性優位社会のメディアが流すよくないイメージばかりで、実際一冊でもフェミニズムの本を読んだことがある人やフェミニストにちゃんと会ったことがある人なんてごくごく一部。 けれど、知られていないけれど、フェミニズムはありとあらゆる形で存在するこの社会の性差別を終わらせることを目指しているのです。そんなシンプルかつ核心部分のメッセージを伝えていきたいと思っています。 だから、フェミニズムというのが分かりやすく書いてあるから読んでおいてね、といえるような小さな本が欲しかったのですが、誰も書かなかったから自分がこの本を書いたのです。」 当分、Janis が最低限の要約を口頭でした後に、質問に答えていく形で始めることにしました。 by bell hooks (2nd ed: 2000; 初版は1984) ※ Janis が持っているので参加者は現物を見られますよ 9月16日 第1章 Feminist Politics 参加者は私を入れて4人。 hooks 曰く(Janis 意訳): 「男が力を持っていて支配していることについて、女たちはすごく怒っていました。その怒りが原動力になってフェミニストたちの運動が支えられてきた部分はあります。でもフェミニズムは反男性ではありません。私たちが相手にしているのはこの社会にある性差別構造なんです。 1960年代から70年代にかけては、公民権運動など、性差別だけでなく他の差別構造にも人々がノーと言い出した時期です。そんな運動の中でも、例えば黒人の中でも、ネイティブアメリカンの中でも、労働組合運動の中でも女性は二の次だったんです。 そしてウーマン・リブの運動の中から、マスメディアで取り上げられたのは白人の女性たちで、とりわけ雇用や労働に関する性差別にスポットが当てられました。そのため、他の差別は置いといて、白人女性の経済的地位を白人男性並みにすることが、フェミニストの目指していることすべてのように誤解されてしまったのです。 けれどもフェミニズムが目指しているのは既存の性差別構造の変革であるはずです。私たち革命的なフェミニストたちはそれをずっと言い続けてきましたが、改良主義のフェミニストたちは、既存の制度はそのままに小手先の運用方法改良に躍起になってきました。 またご都合主義のフェミニズムとも言えるような、既存の差別構造に乗ったまま、フェミニズム運動の成果を上手く利用するだけの人まで、フェミニストと名乗る傾向が80年代以降は特にあります。 けれども、自分自身の内面にある性差別的な考えを省み、価値観を問い直し、政治的な信条を持って、性差別に挑戦していくことがフェミニストである以上必要です。どんな理由であれ、誰かを抑圧しながら、自分はフェミニストだなんていえないのです。」 by Martha Hodes (1999 ハードカヴァーは1997) 9月18日 第2章 Consciousness-Raising 参加者は私を入れて4人。 hooks 曰く(Janis 意訳): 「みんなフェミニストに生まれついているわけではありません。フェミニストになる、のです。この社会では、女性も男性も、性差別構造に取り込まれています。そこで、自分の内面にある性差別に気づくために、まず意識を高めることが最初の一歩です。(この意識を高めることを コンシャスネス・レイジング Consciousness-Raising = CR シー・アールと言います) 今まで家父長制がどのように構築され維持されてきたかを探ること、女性がどのように男性に支配され抑圧されてきたかを女性たち自身がまず気がつくところから CR は始まりました。最初は、知り合い同士が家に集まって順に自分の話をするところから始まりました。女性たちは共通する傷を抱えていたので、セラピー的な部分もありました。 時代が移るにつれ、こういった個人レベルの CR は大学で女性学入門の講座に場を変えていきました。70年代には女性学は学問の一分野として認められるようになっていましたが、同時に優秀でも博士号のなかった女性たちが大学に失望したり燃え尽きたりして、大学教育の場から姿を消してしまいもしました。 80年代には、誰でも政治的信条を問わずフェミニストと名乗るようになりました。けれども CR を欠いたフェミニズムはその潜在的な力を失っていました。 共通点を持つグループの CR、黒人女性、ゲイ女性、男性の CR も重要でしょうし、そういったカテゴリーを超えて話し合える CR の場も必要です。 CR はセラピー的な部分で終わってしまうこともありましたが、本当のCR は自分自身の外側だけでなく、内側にある性差別に対する意識を高め、どうすればいいのか考えを出し合い行動する第一歩であるはずです。問題意識を共有する「だけ」で終わってしまうものではないのです。 フェミニストと名乗ってはいても、己の性差別意識を抱えたまま運動に関わる女性は脅威です。敵は男性ではないのです。まずは内面の性差別的な考えと、自分の行動を変えるところから始め、そしてフェミニストとして政治行動を起こしていく。そのスタート地点は今も CR にあります。」 9月23日 第3章 Sisterhood is still powerful 参加者は私を含めて3人。東京ウィメンズプラザが5時で閉館になっていたので、コーヒー屋さんに移動。 hooks 曰く(Janis 意訳): 「シスターフッド(女の団結)は、家父長制社会の中ではありえませんでした。男性はチームプレーを奨励されるのに、女性は嫉妬し合ったり嫌いあったりするものにされていました。女性が男性より能力的に劣っていると思われている社会の中で認められるには、女性同士で競い合って潰しあうことしかなかったのです。でも女性は男性より能力が低いという前提が性差別的でしかありません。 女性同士が団結するのは、男性に対抗するためではありません。女性自身が自分たちの利益を主体的に守るための団結です。女性一人一人の存在や体はそれぞれ自分自身のもので男性のものではないこと、自分自身の性と体について自己決定権があること、女性に対する暴力・レイプやセクハラは許されないこと、そういった主張をシスターフッドは強力にサポートしました。 シスターフッドは単なる傷の舐め合いではなく、性差別構造にノーというために女性たちが政治的に団結することなのです。 重要な点は他にもあります。女性の中にある経済格差や人種差別にも関わっていこうとしなければ、本当に団結することはできません。70年代から第二波フェミニズムの運動があって、白人女性たちが家事労働をやめて賃金労働につくようになり、結果黒人をはじめとした貧しい階級の女性たちが家政婦やベビーシッターとして雇われました。白人優位社会の恩恵を受けていた、そういった白人女性たちの中にも、どうしたら雇った黒人女性たちを搾取せず、その女性たちとシスターフッドが築けるかを模索した人たちがいます。女だからと口先だけで団結できるものではないのです。 若い人たちがフェミニズムを知らないと古くからのフェミニストたちは嘆くけれど、自分の周辺と内面にある性差別に気がつく機会がないのに、若い人たちがフェミニズムを知らないでいるのは当たり前です。 女性たちの置かれている現状、人種や階級といった複合的に存在する差別構造にちゃんと向き合ってこそ、女性たちは政治的に団結できます。女たちが性差別をなくすために政治的に関わっていこうと主体的に取り組む時、シスターフッドは力を持つのです。そう、シスターフッドは力をまだまだ発揮できるのです。」 http://isd.usc.edu/~retter/sistmain.html もうつぶれてしまったのですが、Sisterhood Bookstore という本屋さんがLAにはありました。 http://www.booksense.com/ 独立系(大手チェーンでない)小売書店にアクセスできるオンラインストア&ストア情報。 9月25日 第4章 Feminist education for critical consciousness 参加者は私を含めて2人。さびしかった。。 hooks 曰く(Janis 意訳): 「フェミニズムの理論は、大学で女性学の授業が行われるより前、フェミニズムと銘打った書物が出る前、女たちが集まる場で始まりました。生活の中にある性差別を分析し、どうやったらその構造を変えられるか、また未来の理想となるような社会はどのようなものか。日々の暮らしと、フェミニズムの考えや行動はつながっています。 初期のころは口伝えで、やがて簡素なパンフレットなどが作られるようになり、そして女性が全ての工程に関わってフェミニズム理論を説いた書物が印刷出版されるようになりました。 女性が書いた物は、フェミニストの運動以前は評価されるどころかほとんど無視されてきました。ジェンダーによる偏見を意識的に取り除いて、女性たちの仕事を再発見・評価しようという動きが始まりました。そうした女性の歴史を掘り起こす作業と同時に、現代に生きる女性たちによる印刷物が出版されていったのです。 学術界では性差別的な偏見から自由な方法論で学問にアプローチすることが始まりました。既存の教育課程や教授・学習法の中にある、ジェンダーバイアスを取り除くことも含まれていました。 大学の女性学の教室で、多くの学生たちが政治的に目覚めました。批判的にモノを考え、フェミニズムの理論を学び、学術領域でそれを実践していったのです。 そんな中で、ジェンダーバイアスだけなく、人種や階級による差別や偏見にも批判的な声を有色人種の女性たちなどが挙げ始めたこともまた重要です。80年代には、より多様な女性たちの現実に即したフェミニズム理論が作られ、女性の団結と運動につながっていきました。 しかし、その後学術界から発信されるフェミニズム理論は難解で、一般の人には手の届かないものになって行きました。政治的な要素がなくなり、革新的でもなくなってしまった結果、フェミニストの運動から学術理論は離れてしまい、ジェンダーの視点を取り入れた一学問というだけになってしまったのです。 文章に書かれ出版されたものは多くの人にフェミニズムを知らせるのに有効です。大学の女性学は保守化の危険にさらされていますがそれはそれとして、もっと普段の生活に近いところで、フェミニズムを伝える教育が私たちには必要です。 子どもたち向けの本の中にある性差別やジェンダーバイアスは批判されてきましたし、そういった偏見から自由な子どもの本というのも出版されました。何を信じるか自分が何者かを探している途中である、子どもたちの読みものはフェミニスト教育にとってとても重要です。 性差別構造の中にあるマスコミはフェミニズムのよくないイメージばかりを流しています。読み物に限らず、テープや歌、ラジオやテレビといった文字以外の伝達手段も使いましょう。多くの人たちはフェミニズムがどんな風に私たちの生活をよくするのか分かっていないのです。」 http://www.southendpress.org/ 26.09.03 29.10.15 「第二派フェミニズム」になっていた部分「第二波」に修正しました。(Janis) Copyright © 2002-2008 "iratsume." 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