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"iratsume" ->> Nihongo ->> 「分野別」書評・文献紹介 ->> Women's Studies 女性学 I Never Called It Rape
I Never Called It Rape: The Ms. Report on Recognizing, Fighting, and Surviving Date and Aquaintance Rape Robin Warshaw (著) U.S. 定価: $13.00 円相当額: ¥1,522 amazon.co.jp 価格:¥1,339 ペーパーバック 出版社: Harpercollins ; ISBN: 0060925728 ; Reprint 版 (09/1994) * 題名にあるように、フェミニスト雑誌 Ms.(www.msmagazine.com)の行ったデートレイプについての全米の大学生を対象にした調査を元に書かれている。初版は1988年。 本文中には具体的な事例とサバイバー(レイプ被害を生き抜いた人)の声がふんだんに織り込まれている一方、統計処理された数字については、調査方法の詳細が巻末にあり、客観的なデータを元にしていることも同時に示されている。 ほとんどのデータが集められたのは1985年(計画は1983年から)、デートレイプはまだまだ知られていなかったし、レイプそのものについても今でも偏見があるくらいだから、アンケートの設問には細心の注意が払われたようである。例えば、レイプしようとしたこと(あるいはしたこと)はありますか、と尋ねたとしても、「はい」と答える人は少ないだろう。レイプ加害者に、顔見知りや元恋人を含めないことを前提に、大方の回答者は答える可能性が高い。 が、質問を「女性が嫌がっているのに性行為をしようとした(あるいはした)ことがありますか」と言い換えて、意味は結局同じなのだがよりバイアスの少ない表現にし、より正確なところを調べようとしている。また、この調査は男性から女性への加害に焦点を絞ったもの。 コンテンツは; デートレイプとは何か、なぜこんなに多いのか、なぜ女性が(レイプ犯罪者にとって)『安全な』被害者になっているのか、デートレイプの後遺症、知り合いの女性をレイプするのはどんな男か、ギャングレイプあるいは『パーティ』レイプについて、ティーンエンジャーとデートレイプ、警察・裁判所・そして大学の反応、女性へ:どうやってデートレイプを防ぐか、男性へ:自分自身が変わることで得られるもの、誰の責任か?親・学校・立法機関とデートレイプ、デートレイプを生き延びたサバイバーを助ける、もしあなたがデートレイプの被害に遭ったら、Ms. の行った調査の方法。 * 私がショックだったのは、レイプ被害に遭ったのに、レイプ加害をしたのに、そのあとセックスしているとか、加害者がしようとしているという事実。男は女を散々殴りつけて無理やりとしかいえないようなセックスをしておきながら、ニコニコとまた電話してくる。また誘う。あるいは追い掛け回す。そして、誰も信じてくれない、全く別の話にして言いふらされたら嫌だと、何かしら自分の「落ち度」を感じている被害者は、付け込まれている。また、嫌いな相手なのに、嫌なことをされたのに、「みんなに親切に」と一般に女性が教育されてきたことが、あだになっている。 * 加害者は、決してレイプしなければならないようなタイプではないという。むしろ「いい人」であることも多い。会話の成り立つセックスパートナーになることもできたかもしれないのに、ゲームのように、英語で score (点数を入れる)は(男が)セックスするという意味があるが、その通り点数を競うように、セックスを考えていたりする。 そして、予想通りというか、男らしい男であろうとする。代金はすべて男が払うべきと思っていたり、セックスに限らず女に意見を言わせない。男らしさのステレオタイプに縛られている男性ほど、加害者になりやすい。 * 1994年の再版時に、この調査後に起こった一連のバックラッシュについて追記されている。特に、"The morning after: sex, fear and feminism on campus" by Katie Roiphe. 1993. に対しては 4 ページに渡って反論している。題名から推測できるように、セックスした翌朝、それを後悔するのをモチーフにしている本。しかし大勢に絶賛されたこの本が上手くデートレイプの現実をもみ消してしまうのは悔しい。当事者自身がそれをレイプだと思っていない、当初は思っていなかった、というのがデートレイプの曲者たるゆえんなのに。 * 自分に起こった被害をレイプと認めるのは、難しい。相手のことは多少でも知っているつもりだったのに、幼馴染やクラスメイト、職場の同僚、顔は知っていた、その人が自分をレイプ?自分がレイプされるなんて、信じられるわけがない。そんなかわいそうなこと、あるもんですか。それに映画に出てくるような、知らない人に屋外でいきなり拳銃を押し付けられるようないわゆる「レイプ」じゃなかったりするのだ。 再度同じような危険な状態に陥ったとき内面の警告に耳を貸すことができる可能性もあるから、何もかも無駄ではないのだけれど、望まないセックスを強要されるのは誰にとっても本意じゃない。怪我や殺されることを恐れて、不安のあまり、物理的に抵抗するのが難しいことがほとんどだし、平均的な女性は男性より、体が小さい。それは体重を預けて来られたとき逃げられない可能性がものすごく高いということである。護身術を身に着けるのなら、被害に遭う前に学ぶべし。 * そして警察に届ける人だってとても少ないのだけれど、裁判のこと。裁判員と裁判官の偏見に、レイプ被害者は晒され、証拠不十分などの理由で負けてしまうことがほとんど。 裁判員制度の中で、女性の裁判員は実はデートレイプの女性被害者の味方にはなってくれない。もしも『普通』の女性にレイプが起こるのだったら、自分も危険だということを認めてしまうから。もしも、それが『レイプ』だというのなら、あれもレイプになってしまうから、だからレイプではない。普通の女性は被害者などにはならない。 「いわゆる刑事裁判で勝てるケースというのは、被害者は―処女で両親と同居―死にかけのおばあさんの入院先へ見舞いに行く途中、今までに会ったことのない男に、真昼間の大通りを歩いているところを後ろからつかまれる。男はナイフ、銃、それから真ちゅう製ナックルを身につけている。男は、彼女のあごをぶん殴って骨折させ、そのため彼女は叫ぶことが出来ない。そして最低1回は藪の中に連れ込んでレイプする前に、(ナイフで)突き刺す。彼女はもちろん非常に強くやり返し、男性警官の注意を引くよう抵抗、そしてその警官が現場で犯人を被害者から引き離す。鑑識では男の精子が彼女の膣内から発見される一方、被害者の血液と皮膚の一部が男の体から検出される。さらに被害者の顔に出来た青あざは男の真ちゅう製ナックルの型と一致する。」 (page 139)[参考:真ちゅう製ナックルの画像] といったところらしい。どれだけのレイプがそんな都合よく起こるだろう。こんなことはレイプの中でも希、はっきり言えばない。 裁判が大変なのは、その場での証言もあるが、準備期間だったというケースが載っていた。準備期間に、何度も仕事を休み、弁護士に会い、打ち合わせと、質問に答える。それが何ヶ月も続くだけで消耗することは、少し考えるだけで想像できる。 * もう一つ、この本を読んで改めて気がついたのは、裁判で、オーラルセックスやアナルセックスを強要されたときにはソドミー法を使って訴えるのである。ソドミー法のポイントは、「強要」が罪ではなくて、性器を正しく(!)使わなかったことがいけないとされる。それで、判決が強姦罪は無罪になったが、ソドミー法には引っかかってそちらで有罪判決になっていたりする。これは、加害者をやっつけたとは言えるかもしれないが、この法律に頼る理屈に、私はどうしても納得がいかなかった。(本文に、この部分への疑問は提示されていない。強姦罪が認められなかったショックは書かれているが。) [参照:『ロス便り』 ->> ソドミー法について <<- by Janis Cherry 05.03 ] * 発表当時衝撃の強かったMs. の当調査結果は、デートレイプをまた別の定義に閉じ込めてしまったところもある。もちろんこの調査には自明の限界があって、舞台が大学だったので、中産階級の、白人中心の、21歳前後の人しか調べていない。だからといって、もっと若い世代や、歳を重ねた世代にデートレイプがないかといえば、そんなことは全くない。 むしろ、世間の狭くなりがちな若い人や、中高年が被害に遭えば、より裁判や本人の社会的な地位にレイプ被害にまつわる偏見が影響を与えるだろう。それぞれのケースで個別の困難がある。米国では、低所得者層の女性は特に、合法的な期間内に安全な妊娠中絶手術を受けるのが非常に難しい。そして低所得者層というのは、黒人やラテン系をはじめとする少数派の人種(民族)と、貧しい国から渡米してきたばかりの移民だ。共有できる問題がないわけではないが、貧困と階級のありようが問題をより複雑にしている。 * デートレイプ被害者がレズビアンと書かれている実例は一編あった(主題である男性から女性へのレイプを説明するために、直接に必要ない個人情報は含まれないから、この例以外にセクシュアルマイノリティ被害者の例が掲載されているか分からない)。男と付き合ってみようとした若い人の話。取り返しのつかない過ちを自分が犯した気持ちになって、とてもつらい思いをした。けれども、彼女がレズビアンに対する偏見のない社会にいれば、試しに男と付き合おうという発想自体が不必要だったろうし、そんな社会で試しに付き合った男は12人に1人のレイプ犯罪者でもなかっただろう。 * 予防の可能性、教育の必要性にも言及されている。 今では大学でのデートレイプは、比較的よく知られていて、大学事務局が裁判で訴えられることがある。リスクマネージメントの一つということもあり、キャンパス内での性暴力防止のための教育プログラムがどの大学でも必須になっている。防止すべき性暴力にはセクシャルハラスメントも含まれている。確実に結果が出ている一方で、肝心の加害者予備軍にたどり着けなかったりもする。講座を受けて役に立てられる人すべてまで、なかなか響かない。ここにも課題がある。 ただ、最初にレイプが起こるのは、10代、となると中学くらいの段階で教えるべきではないか。でも学校も親もやりたがらないと、やはりこれも問題提起のままでおかれている。この辺りまでが、この本の仕事だったのかな、という感じ。 * 最後になってしまったけれど、この本の出だしは、サバイバー向けのメッセージになっている。もしも、デートレイプ被害者であるならば、「被害に遭ったら」の第14章を先に読むように提案されている。そして、この本のカテゴリーは Women's Studies と Self Help。当事者こそ、一人きりでないことを知って、自分のせいではないことを知って欲しい。そのメッセージはフェミニストのイイトコロを煮詰めたみたいに、強く優しいのだ。 17.05.03 Reviewed by Janis Cherry このページの一番上へ 本文から枠に囲まれた結果を抜粋。 犯した。 このページの一番上へ Copyright © 2002-2008 "iratsume." All Rights Reserved. |