フェミニズムとレズビアン・アートの会
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このイベントは終了しました。
当日ソンタグの "Singleness" (1995) というエッセイの翻訳を配布しました。[PDF]

 
第3回アートQキャラバン
ソンタグをめぐる問いのいくつか
―なぜ彼女はレズビアンなのか、あるいはレズビアンではないのか
 
*日時* 2011年2月19日 (土) 午後7時〜9時
    (6時30分開場予定)
*場所* PA/F SPACE [www.pafspace.com]
    地下鉄東西線早稲田駅2/3b出口より徒歩2分
*入場料* 500円(温かいお茶あり/ソフトドリンク持込可)
*事前申込* 不要
*プレゼンター* Janis Cherry (フェミニズムとレズビアン・アートの会(FLA)/いらつめ)
 
長く、スーザン・ソンタグがレズビアンだとは聞いたことなどなかった。長く、作家本人の生い立ちには興味を持っていなかった。それでも彼女の作品には彼女自身の略歴すら知る前に触れていた。特に『隠喩としての病い・エイズとその隠喩』には少なからぬ影響を受けたと思う。
 
たとえばスーザン・ソンタグ(1933-2004)が亡くなる直前、十数年に渡りフォトグラファーのアニー・リーボヴィッツとパートナー関係にあったという事実を持って、あるいは若い頃女の恋人がいたからといって、彼女はレズビアンだと私が言っていいのか。彼女に結婚や出産や離婚や育児の経験があるから、レズビアンではないと私は言い切るのか。
 
その人がレズビアンだろうがバイセクシュアルだろうが、本人や周囲がそのことをどう思っていようが、その人自身が何を・誰を優先をして日々暮らしていようが、その人の作品の成り立ちや発表の経緯に、受容のされ方に、さしたる影響はないのだろうか。少なくともここにあるいくつかの問いは私の知っている(と思っている)あの、スーザン・ソンタグについては有効なのだろうか。他の誰かについて、私自身について、有効だろうか。
 
2011年2月のアートQキャラバンでは、ソンタグの最後のパートナー、アニー・リーボヴィッツを取り上げたドキュメンタリー映画『アニー・リーボヴィッツ―レンズの向こうの人生』(2008)と、彼女たちの共同作品であるリーボヴィッツ写真集『Women』(1999)、ソンタグの最期を収めた同じくリーボヴィッツ写真集『A Photographer's Life: 1990-2005』(2009)を目に見える手がかりとし、ソンタグ自身のテキストと、他者に語られるソンタグ像をつなぐための問いをいくつか考えたい。(Janis Cherry)
 
■ 関連企画としてスーザン・ソンタグ著『隠喩としての病い・エイズとその隠喩』を読む勉強会を新宿二丁目のaktaにて水曜夜に開催しています。単発参加・連続参加ともに歓迎します。詳細はこちら。[http://selfishprotein.net/cherryj/2011/Sontag_Illness.html]
 
最も新しい情報はウェブサイトで確認できます。
[http://selfishprotein.net/cherryj/indexj.shtml](日本語)


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