FEMINISM and LESBIAN ART
by CherryJ
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滋賀県教育委員会と県内市町村教育委員会一覧
(〜教育委員会、郵便番号、住所の順で表記してあります。)

滋賀県 520-8577 大津市京町四丁目1-1

大津市 520-8575 御陵町3-1
彦根市 522-0001 尾末町1-38
長浜市 526-8501 高田町12-34
近江八幡市 523-8501 桜宮町236
八日市市 527-8527 緑町10-5
草津市 525-0034 草津三丁目13-30
守山市 524-8585 吉身二丁目5-22
栗東市 520-3088 安養寺一丁目13-33

滋賀郡
志賀町 520-0592 木戸58

野洲郡
中主町 520-2492 西河原2400
野洲町 520-2395 小篠原2100-1

甲賀郡
石部町 520-3195 石部中央一丁目2-3
甲西町 520-3288 中央一丁目1
水口町 528-8666 水口6053
土山町 528-0211 北土山1715
甲賀町 520-3492 相模173-4
甲南町 520-3308 野田810
信楽町 529-1892 長野1203

蒲生郡
安土町 521-1392 小中1-8
蒲生町 529-1592 市子川原676
日野町 529-1698 河原470
竜王町 520-2592 小口3

神崎郡
永源寺町 527-0221 上二俣24
五個荘町 529-1492 竜田2-3
能登川町 521-1205 躰光寺262

愛知郡
愛東町 527-0157 下中野431
湖東町 527-0113 池庄505
秦荘町 529-1234 安孫子825
愛知川町 529-1380 愛知川72

犬上郡
豊郷町 529-1169 石畑375
甲良町 522-0244 在士353-1
多賀町 522-0341 多賀240-3

坂田郡
山東町 521-0292 長岡1206
伊吹町 521-0314 春照37
米原町 521-0016 下多良三丁目3
近江町 521-0072 顔戸488-3

東浅井郡
浅井町 526-0244 内保2490-1
虎姫町 529-0142 田108
湖北町 529-0341 速水1308
びわ町 526-0108 難波448

伊香郡
高月町 529-0233 渡岸寺160
木之本町 529-0425 木之本1757-6
余呉町 529-0515 中之郷958
西浅井町 529-0792 大浦2590

高島郡
マキノ町 520-1833 蛭口260-1
今津町 520-1621 今津1966
朽木村 520-1401 市場792
安曇川町 520-1217 田中89
高島町 520-1121 勝野670
新旭町 520-1592 北畑565


2001年12月18日


教育委員会 担当者様

 2001年秋、彦根でフェミニズムについて語る会とレズビアン芸術ワークショップを企画しておりましたJanis Cherryと申します。私自身、レズビアンであり、詩作と音楽活動を中心に芸術に関わっています。

 様々な方のご協力を得て、ようやく僅かですが日本在住の人たちとのつながりが出来始めました。しかし、同時に性的少数者(異性愛以外の性的指向を持つ人々や、インターセックス、トランス・ジェンダーなど)に対する偏見の目が私の住んでおりますアメリカ合衆国カリフォルニア州と比べ、滋賀県ではとても強いということにも同時に気がつきました。同性愛や女性に対する人権問題についての無理解や、私たちに直接投げかけられる偏見に満ちた質問にはとても失望しました。

 まずはじめに、ご存知とは重々承知の上申し上げますが、同性愛は生物的な異常ではございません。よく異常であるとの理由に、生殖につながらない性行動であるから、と仰る方がいますが、逆に申しますと異性愛であっても、子どもを作らないと決めているカップル、不妊・閉経・断種…理由は様々であっても子どもを作れないカップルにとっての性行動は異常でしょうか?避妊や中絶は異常でしょうか?いつもそれは間違っているのでしょうか?

 言うまでもなく野生動物にも、生殖につながらない性行動があります。しかし、同性同士の「関係」を、異性との関係より優先させることはありません。

 私たちは、今生きている人間同士の「関係」よりも、卵子や精子など半分の遺伝子情報しかもたない細胞たちの生存目的のみを優先させる必要が本当にあるのでしょうか?受精卵以後、母体の健康とその女性の将来より、「いつも」胎児を優先するのが倫理的に正しい選択なのでしょうか?

 私たち人間が他の野生動物と違うところは、私たちが緩やかな生存環境下でくらしている点です。自らの子孫を絶やさないこと自体が、歴史の中で最も重要な目的でなくなってきた結果、子産みの道具でしかなかった女性の人権に近現代以降、注目が集まっているのではないかと私自身は考えています。

 ですから、繰り返しのようになりますが、同性愛が異常であるというのは社会的・歴史的な背景があってのことで、決して生物学的な根拠のある言説ではありません。

 私たち一人一人の人生の価値、人間関係を築いていくこと、社会の一員としてその中で役割を背負っていくことは、とても重要です。ですから、同時代に生きる個々人が各々の人生を謳歌できるように「愛情」や「性と生」については考えていくべきだと私は思っています。

 その上で、誤解されている方が多くいらっしゃいますが、同性愛はライフスタイルであり、ある一個人が優先したいと考えている人間「関係」の一つの形態です。異性愛である人が、性的な「衝動」だけでパートナーとの信頼関係を築けるわけがないように、同性愛である人間もまた、様々なコミュニケーション手段を使って、パートナーを見つけ、その人との関係を深めていきます。また、同時に恋愛や将来設計を含め話し合える友人を求めています。

 ところが、日本のマスコミでは、ホモネタやレズネタが相変わらず笑いの種として存在していますし、実際の生活の中でも例えば職場で学校内で趣味の集まりで、そのような話題が繰り返し当事者を傷つけています。

 このとき、マスコミや周囲に、抗議するとしましょう。すると、おまえも同性愛者なのか、といじめの対象になるかもしれませんし、本人はその偏見に耐えられたとしても、家族や恋人、また友人らのことを考えれば、「自分が同性愛者だから」こういう言葉を言われると傷つく、不快だ、と正直な怒りを表明できなくなってしまう場合がとても多いのです。

 また、女らしくない・男らしくないという理由を根拠として、あるいは同性愛者だという決め付けや噂だけで(もちろん〜らしくないだとか同性愛者だということが事実であったとしても、暴力をふるうことは間違っていますが)、それだけのために私たちは何らかの(身体的・心理的など)暴力を受けることがあります。

 そういった中で、日本社会において異性愛者として振舞っている非異性愛者は相当数いるものと思われます。中には、自己嫌悪につながってしまうために同性愛者であることを自分自身が認められない場合もあります。あまりにも前向きな情報が少ないために自らを精神的に追い詰めてしまう場合もあります。

 その上、日本では(特に大都市でない限り)結婚するのがほぼ当然とされています。女性の場合は男性に比べ経済的基盤の弱さがありますし、仕事上の信用を得る為などと言う理由で男性同性愛者であっても異性との結婚をされる方もいます。けれども、その結婚生活は、配偶者となる人に嘘をつき通していくことになるわけですから、本人にとって、また(異性愛者の)配偶者にとって、そうすることが当人達自身にとって幸福であるかは疑問です。

 男女間の内縁関係はある程度法律的に認められている部分がありますが、結婚制度から外れた同性間の恋人同士が同居していたとしても「世間」も「行政」も”見たことがない”ので、保障の欠片もありません。ここでも、同性愛者や、既成の結婚制度と違ったカタチで信頼関係を築こうとしている人たちに対して、その存在の見えづらさが差別や偏見の強いことを示しているという自覚自体、日本社会に住む多くの方にありません。

 そして、男性とは、女性とはこうあるべきであるという役割分担、結婚・出産・育児という一連の通過儀礼、といった「伝統」や「文化」は世間の「良識」によって守られています。しかしその「良識」が実は個々人に対する人権侵害を後押ししている、という点は見過ごされています。

 今、子どもの人権保護や、DV対策など女性の差別に対する取り組みなど、今までは伝統や文化であって「しつけ」や「夫婦喧嘩」と片付けられてきたものについて見直す動きが出てきています。

 今まで人権問題として取り上げられてこなかった対象―子ども、女性、しょうがいしゃや老人―の中には非異性愛者が、同性愛者や、トランス・ジェンダーやインターセックスの人間がいるのです。もしも、こういった人々の人権はとりあえず置いておく、というのならいつになったら、どれだけ待てば同性愛者の人権問題は取り上げられるのでしょう?

 歴史の中で、同性愛者の存在を示す証拠は多く残っています。今までずっとある一定の割合で同性愛者は存在してきましたし、これからもそうでしょう。

 最近、浅井春夫氏著 十月舎刊「セクシュアル・ライツ入門 ― 子どもの性的人権と性教育のための20章」という書籍を読みました。この本は私自身にとって、とても力づけられる内容でした。それは、まずマイノリティーの視点から性的人権というものを見直しているからで、それから私たちの感じている問題は社会的な見地から見ることができ、異性愛者の人たちにとって、この社会に生きる人々の「性的人権」について、誰しも無関心ではいられないということが述べられているからです。

 私には、友人が何人かいます。同性愛者、両性愛者、異性愛者、ここまでは性的指向の違いがあります。それからトランス・ジェンダー、この人は性自認が簡単に言えば生物的な性別とは異なっています。それぞれその人らしさが、体の性別らしさと重なる部分もあれば、重ならない部分もあります。そして、一人一人がその人の生き方を、将来を、周囲との信頼関係を模索しながら生きています。

 今回教育委員会という機関にお手紙差し上げましたのは、こういった実態にあまりにも無関心な人たちが暮らしている滋賀県で、レズビアンの子どもは、男性同性愛者の大人は、両性愛者は、障害者でありトランス・ジェンダーの人は、どうやってこの人権侵害の連続から自らを守っているのだろうと悲しく思ったからです。

 最後に私なりの提案をいくつか述べて、この手紙を終りたいと思います。もちろん、一市民の声がどこまで通るか分かりませんし、私はこの地を間もなく離れます。が、この提案の一つでも目にとまることがありましたら、ぜひ実践を検討していただければと思います。

1. 子どもに対する性虐待防止と、万が一起こった場合の報告がなるべく速やかに行えるような対策

・ 就学年齢に達していない子どもに対して(2、3歳以降)…性器を含めた体の部分の名前をなるべく早く教えておくこと。

・ 小学生以降の子どもに対して…年齢に応じ、CAPプロジェクトを複数回、受けられるようにすること。性についての自己決定権があることを教え、自らの人権意識を高める手助けを日常の学校生活の中でしていくこと。

・ 思春期直前から思春期の子どもに対して…同性愛を含めた多様な性のあり方を学べる性教育を行うこと。STDについての正確な知識とその予防方法を詳細に教えること(指や口や肛門を使った場合を含む)。コンドームの使用方法について実際に手にとることも含めて教えること。強姦など性暴力にあった場合の対処法、中絶のしくみなどについて実際に連絡できる医療機関や警察などの電話番号を含めて周知させること。生徒の性についての質問や相談について正確な情報を持った第三者の窓口を作ること(学校・家庭・警察・病院外)。

・ 高校生や大学生の子どもに対して…思春期の子どもに対してと同じく。また、小学生などに対するCAPプロジェクトを運営するスタッフとして子どもの(また自分たち自身の)人権についての理解を深めさせること。

・ 特に障害者の子どもに対して…「健常者」の子どもならば得られる情報が伝わらないことがないように最大限の努力をすること。(CAPについても、知的障害者に対する実践報告など書籍が発行されています。)また援助者に依存しがちになりうるので、性的虐待などが起こったときの発見や実証が難しいことを踏まえ、常に学校・施設外の第三者の目を取りいれるようにすること。

2. 同性愛者や性別に違和感を感じている人に対しての人権擁護

・ 教師をはじめとした大人に対して、幼稚園から大学まで、養護学校など含めて教育機関で大人たちがあらゆる差別的な発言をしないように、またCAPをはじめとした子どもの人権を守る目的の教育プログラムと性的人権について学習の機会を与えること。講演会や学習会など。

・ 職場内での、差別的な発言に対しての反論が真面目に聞き入れられるようまずは、教育委員会内から変えていくこと。また、この手紙が送られてきて、知ったこと、思ったことを個人的な人間関係(家庭内や友人たち)の中で話し合う機会を持つこと。

・ 特に公立図書館に対して、利用者としてまた関連の機関で働く人間として、同性愛等について差別的な本の存在を批判し、人権擁護の立場から良書を思うものを推薦・購入要望をして働きかけていくこと。

最後まで読んでくださって、どうもありがとうございました。
この手紙の内容はウェブサイト上にも掲載いたしました。http://selfishprotein.net/cherryj/letter5.htm

フェミニズムとレズビアンの会主宰 Janis Cherry http://selfishprotein.net/cherryj/
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