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November 26, 2002
<私自身について> 二つの性別だけが世の中にはあること。 体の仕組みが決めている性別と、遺伝子が設計した性別と、第三者が作る社会に自分が期待されている(たいていは育てられてきた)性別と、自分自身が認識している性別と、自分自身が生きていこうとする性別が全て一致すること。 二つの性別があって、異性を恋愛対象とすること。 ここを訪れるのは、こういうことに疑問をもったことさえない人たちがほとんどだと思います。でも、一つでもこういった前提に沿ってない人間は少数ですがあなたと同じ社会に生きていて、辛い思いをすることがとても多いです。 多くの非異性愛者が、自分のセクシュアリティについて悩んでいます。自分の中で、非異性愛者であることを認められない人もたくさんいます。アメリカでは、5時間に一人、思春期の同性愛者が自殺しています。[ホワイトリボンキャンペーン] 異性愛の人たちにはなじみがないかもしれませんが、インターネット上でゲイやレズビアン、それからトランスジェンダー、トランスセクシャルのサイトはたくさんあります。 職場や学校、それから家庭内でも、オフラインの日常生活では自分の性的指向(どちらの性別を恋愛対象にするかということ)を言うと表立って差別を受けるから、黙っている人が多いけれど、ネット上では自由に自分の一番大切な人の話や、大切にしていきたい人間関係を視野に入れた将来設計や、そんなことさえ普段は話せない悩みが語られています。 私自身は女性に性的に惹かれる女性です。このことで、とても悩んだ覚えはありません。むしろ、前向きに考えてきた方です。でも、私自身の中で、同性愛に対する偏見があって、どこか自分が異常だと考えなかったわけではありません。 自分が異常ではないかと考えた一番の理由は、私が子どもの頃に性的虐待を受けてきたからです。私の男性不信が、私を異性愛者でなくしたのだと思ってしまいそうになるのです。そうだとしたら、私の恋愛感情は間違っていて、狂っていることになる。大切な人との関係が嘘になってしまう。これはものすごいストレスです。 もちろん、「問題のある」子ども時代の人間関係が「問題のある」性愛を生むのではありませんし、そもそもこの社会において正常・常識と信じられていることの範疇に入らない同性愛が間違っている・問題である、のではありません。しかし、私の中でさえそう考えてしまう偏見・同性愛嫌悪はあります。それが自己嫌悪に繋がってしまうから、辛いのです。 もちろん、全ての経験を糧とする力を持っているとしても、私の抱えている傷の一つは、小学校から数年間の性的虐待の被害経験です。これに加えて、この社会(とそこで生きていくしかない私自身の内面)にある同性愛嫌悪も、私を生きづらくしてきました。 この先、Memoirは個人的な記憶の断片です。この先、お帰りになるためのリンクを用意していません。現在精神的に不安定な方はこの場でお帰りください。 Copyright 1999-2003 Lati. All rights reserved. |