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January 31, 2005.

こんばんは、こんにちは、はじめまして。「子どもの性的虐待について」のサイトを作っています、Lati です。

今から6年ほど前にこのサイトは始めました。その頃私はアメリカ合衆国にいて、夏休みに帰らないの?と聞かれたらどうしようかと不安でした。故郷であるはずの日本が恋しくない理由をどうしても説明したかったのです。
自分が10代の頃父に性的虐待を受けたのだという言葉を既に私は獲得済みで、フラッシュバックも乖離もウツも恋愛関係の障害になっていることも、理由ははっきりしていました。けれども日本語で性的虐待というと(今もそうかもしれませんが)当時は近親相姦のことでした。それは甘美でエロチックな禁断の愛か、あるいは気持ち悪くて胃液を吐かずにはいられないような、どちらにしろかなり濃いイメージだと思うのですが、私には逆立ちしてもイメージ通りの経験はなかったし、記憶を断絶させてきたあのことを語るには性的虐待という言葉が不十分に思えました。そこで、性的虐待の周りを取り囲んでいた緊張感や閉塞感を言葉にして人に分かるように書いてみようと、文章を書き始めました。今は「概観」と題しているページの初稿です。性的虐待に焦点を当てた日本語のウェブサイトは見当たらず、ドメスティック・バイオレンスという言葉も今ほどは知られていませんでした。それに私自身が不勉強で知らないことがたくさんありました(今だって勉強中ですが)。

開設してから私自身の考えが変わったり、より適切な言葉を学んだり、逆に言葉の意味がずれてしまっていることに気づいたりして、少しずつ手直ししながら続けてきました。時々全部書き直したくなることがあるのですが、中に生かしたいところもたくさんあって付け足すことはあっても大きな変更はしていません。

しかし勉強より何より、自分以外のサバイバーと知り合ったことが、このサイトから得た最大の収穫でした。

3年前に私は妹を亡くしました。私は、彼女のことをどこかで子ども時代をともに戦った同志や仲間のように思ってきました。彼女を失くした時、自分のことばかりにかまけてせっかく近くにいたのに何もできなかった情緒不安定な自分を憎みました。いろんなことを、悔やみました。何でいつまでも経済的に自立できないんだろう、なんて私は役立たずなんだろう。私は自分と同じような目にあっている人の役に立ちたくて勉強しているはずなのに、目の前にいた自分にごく近い人間を助けられもしなかったのに、それ以前に自分自身の体一つ支えられないのに、何を私はやっているんだ、何のために生きているんだと悩みました。今も、悩みます。その問いには答えがないと人に言われても考えずにはいられません。

彼女の死後、日本へ帰って、両親と再び同居し、日々酷いウツに落ちていきながら、焦るように本を読みました。
そして自分が読んでいるものがずいぶんと“フェミニズム”といわれる分野に偏っていることにあらためて気づきました。サバイバーたち自身が必要に迫られてできた思想の歴史がそこにはありました。サイトを通しての出会いとはまた別の、自分以外のサバイバーたちとの出会いでした。10年前の私なら“フェミニズム”というのはどこか偏狭な思想だと思っていました。その頃は他のどんな差別よりも自分が異性愛者でないことを理由に差別されていることにだけ敏感でした。今でも反差別や人権問題を考えるとき、真っ先に自分自身が異性愛者でないことが頭に浮かびます。
しかし性差別も、人種差別も、民族差別も、高齢者差別も、障害者差別も、階級差別も、「子ども」差別も、そのほか数え切れないほど多様な差別構造が今ここに絡まりあって存在しているのが見えてきたとき、“フェミニズム”は私ができることが何かあるんじゃないかと考え、人と出会い対話するきっかけになりました。以前の私が考えていた以上に“フェミニズム”はずっと正直で真摯なものの考え方でした。今でもいわゆる“フェミニズム”の異性愛限定的な言い回しにイラつくことはあるのですが、それでも“フェミニズム”には可能性があるとあるときからサバイバーの私は感じています。

(このサイトは“フェミニズム”の入門サイトでもなんでもないけれど、“フェミニズム”から良い影響を受けていると思っています。これを読んで“フェミニズム”をもっと知ってみようと思う人がいたら嬉しいです。本一冊であってもあなたが自分と波長の合うフェミニストに出会えることを願っています。)

なんだか長くなってきましたが、もう少し付き合ってもらえますか?

“フェミニズム”よりもジェンダーフリーの方が日本ではよく使われていると思います。ジェンダーフリーという言葉の意味を私はいまだに定義できないでいるのですが、ジェンダー(性別・性差)によるバリアを取り除こうという意味で使われていると思います。しかし性別のバリアを感じたことがある人も、他のバリアをより強く感じる人もいると思います。確かにあなたの生き難さは「女」だとか「男」であるせいではないかもしれません。「外国籍の日本在住者」であるせいでも「18歳未満」であるせいでも「精神障害者」であるせいでもないかもしれません。「レズビアン」や「バイセクシュアル」であるせいではないかもしれない。「先進国」にいるせいや「雇用者」であるせいではないかもしれません。「東アジア人」であるせいでも「年収200万円未満」であるせいでも「ホームレス」であるせいでもないかもしれませんね。

けれども自分が直接被害者でなくても、差別される側でなくても、同時代に生きているならば、誰もその差別は無視できません。被害を受けている当事者が、加害を自ら支えてしまうことはままあるのです。公害も学校の校則も人権侵害を受けている側によってむしろ支えられてきました。そしてそういった問題を丸ごと抱え込んで支えている社会に私たちは生きて、何もしなければそのままの状態で維持しつづける側に加担しています。今もどこかで同時進行で性的虐待も、他の暴力加害も起こっています。楽しいことも残虐なことも取り立てて興味がないこともすべて。今、私とあなたがいる同じ世界で起こっていることは、因果関係が自明でなくても、日々の衣食住の中で一人ひとりが関わっていないはずはありません。

どうかこのサイトに書いてあることを他人事と思わないでください。子どもの性的虐待をなくすためにすぐにできることなんてないかもしれないけれど、私一人ができることはほんのわずかだけれども、少し想像力を使ってみるだけでいいのです。このサイトがあなたが問題だと感じたことをあなたが信頼できると思う人と話すきっかけになったらいいなと思います。そうして他の人と話すことから問題解決のために何かできることやしたいことが見つかればいいなと思っています。

愛をこめて。
Lati

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