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レオノーラ・フィニ展 チラシ画像もうご覧になった方がいるかもしれません。東京渋谷の Bunkamura ザ・ミュージアムでレオノール・フィニ展が開催されています(2005年7月31日まで)。

あなたがクイアの疑いがあるクリエーターにどうしても興味を抱いてしまうなら、公式ウェブサイトにある作品をとりあえずチェックして気になったのなら、それからシュールレアリズム、白骨とか骨格標本、猫(特に顔が平べったいヒマラヤンみたいなの;フィニは17匹も飼っていたほどの猫好き)、おしりがまん丸でやや細身&弾力のあるヒトの身体(肌は白め)、網タイツ、仮面、仮装、女×女のエロ、…どれか引っかかるところがあるのなら、ぜひぜひ一度行ってらっしゃい。


Bunkamura ザ・ミュージアム:レオノール・フィニ展
http://www.bunkamura.co.jp/museum/event/fini/index.html

会期: 2005年6月18日(土)〜7月31日(日) 開催期間中無休
開館時間: 10:00〜19:00/毎週金・土曜日21:00まで(入館は閉館30分前)
会 場: Bunkamura ザ・ミュージアム  ★2005年7月24日までは同じビル内の1階でも(こちらは売り物の)いくつかの作品を無料で見られますよ
入館料(当日): 一般1200円、大学・高校生800円、中学・小学生500円 
  ※ 団体・前売り: 当日料金から100円引き(20人以上、要予約2)
  ※ 障害者手帳提示で本人および介助者1人は、一般600円、大学・高校生400円、中学・小学生300円。
問合せ: ハローダイヤル TEL 03-5777-8600
巡回先(東京のあと、大阪、群馬、愛知へ巡回予定)
 大丸ミュージアム・梅田: 2005年8月31日(水)〜9月11日(日)
 群馬県立近代美術館: 2005年9月23日(金)〜11月3日(木)
 名古屋市美術館: 2005年11月11日(金)〜12月25日(日)

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下に一部を引用した記事では、バイセクシュアルのアーティストとして紹介されているレオノール・フィニ(1907〜1996)は、シュールレアリズムにカテゴライズされることを一貫して拒んでいたという。
実際のところ、フィニの作品はシュールレアリズムが持つ家父長制的前提に応答しているようにも見える。フィニは、自分自身を、あるいは他の女性たちを、絵画作品の中心に配し、女性の力や女性の自律のイメージを表現している。作品の中でフィニは、家母長制、レズビアニズム、中性的・両性的であることといったテーマに触れている。彼女の典型的な作品は、注意深く解釈された現実とファンタジーによって創造された理論上の空間を結合させている。[ 第10段落 "Fini's work may ..." から始まる段落 glbtq >> arts >> Fini, Léonor http://www.glbtq.com/arts/fini_l.html ]

にもかかわらず、今回の展覧会について私が読んだ限りでは、必要以上に狭い枠に押し込めようとする評が多いと思った。例えば、描かれた女性がみな明るい彩度なのに抑圧された女性の性を描いたがゆえの不安定さが現れているという評にはちょっと脱力する。だったら引き止めようとする(ように見える)男と女を眼中に全くおかず前へ前へと進む女を描いた複数の作品をどう説明するのか。この展覧会で「エロチシズム」とある種の作品をカテゴライズしておいて、そこに描かれた女だけをもって、フィニが描こうとした女のセクシュアリティを語るのは、カテゴライズそのものをきらった作家を語るに不十分だと思う。『男』と言い切るには不確かな見た目の人をして、性的な対象となっている相手の人が胸のあらわになった『女』だから、その絵を男と女のシーンと解していた別の絵についての評も謎だった。

しかし、彼女が出演している(彼女の作品なのか出演者の一人なのかよく分からないんだけど)ビデオが一篇上映されていたのだが、そのダルイことといったら…(ビデオはもう一点、死後彼女の家を写したものがある)。どう読まれても構わない、ストーリーや主張をあえて明らかにしない、という受け手に任せきった放任主義は、一定の時間を拘束される映像というメディアのせいか私にはつらかった。

作家が既存の文脈をすべて廃せば(そうできるとしたら)受け手は既存の文脈から自由に解釈できる、訳ではない。作家が周囲が作品が何をどうあがいても受け手が作品に何か「意味」を読み取ろうとするならば、何かしら既知の文脈が必ず姿を見せる。
カテゴリーがないと不安だ。既知の文脈を当てはめないと分からない。―そんなの関係なくあなたが楽しめばいいのよ、私はそうしてるけど? と言われても私はやっぱりうろたえる。第一、相手は死人で、目の前に作品はあるのだ。はだかの肌に血の通った生き物を抱く感触をどう説明しようが、いや何にしろ腕の中には猫が一匹いて、それを私は画家の目を通して見ている。そこに独自でない解釈や文脈がないはずはないではないか。

Janis Cherry
  • ライタープロフィール






    16.07.05
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