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ヘテロ "フェミニスト" 嫌い

何かしらの出来事なり、経験なり、制度なり、法律は、ここにいるすべての人にとって同じ意味を持たない。というのを、私に限らず人は時々忘れることがあると思う。

「あなた日本人でしょ?(どうして知らないの?)」と日本人の女にいわれたことがある。そんな言い方をされると、いや、日本人じゃないよ、と言い返したくなる。日本人だったら通じると思ってる世界が狭すぎる。そんなに私を問い詰めないで欲しい。

日本の戸籍制度は、日本に住むすべての人にとって同じ意味を持たない。私にとっては『家族』関係を縛るものでしかないけれど、誰かにとっては、自分の父方の血統のよさを証明してくれるもの、かもしれない。外国籍の住人にとって、天皇家の人にとって…かなり違うはず。

ところで最近、町で配っているティッシュをもらえない。私の見た目は女で通用するが、「男」としても「女」としても不完全なので、ターゲットになりづらい。普段、私は「女」の基準に達していない。誰かにとって私なんぞ「女」としての価値がないことがある。

そんな風に、誰かにとって「女」としての共通体験や共通認識なるものを味わうには、前提となることが「私」だけすっぽ抜けていることがあるんだと思う。そういうすっぽ抜けのところは、少なくとも私の場合、「女」を規定している現制度から外れている自由、というより社会からの疎外感や孤独感やさびしさにつながっている。だから、自分といわゆる「女」との違いを無視されて、同じ「女」なんだから分かるでしょう?といわれてもすごく困るだけである。

レッテル貼りを人が嫌がるのはたぶん、○○だからこうでしょ、という決め付けが怖いんだと思う。レズビアンだからこうでしょ?女だからこうでしょ?日本人ってこうでしょ?

そういう決め付けは、同じアイデンティティを持っている者同士の間でも起こるし、違うアイデンティティを持っている人との間でも起こる。

特に、自分が権力側で、制度に守られている立場側のとき、自分より弱い立場の人間にレッテルを貼るのは差別だ。強者が貼るレッテルは、即、弱者の不利益につながる。

それで本題なんだけど、日本にいて、「ヘテロ」で「フェミニスト」な人たちに、「女」にとっての共通認識や経験なるものを、強要される気持ちになることが非常に多い。「ヘテロ」と「非ヘテロ」では、「女」だからと共有できるものが、彼女たちが思っているほど多くない。たぶん、それは「ヘテロ」で「フェミニスト」な人たちが内面にある異性愛主義的な差別思想に気づいてないからだと思う。しかし、相手のその部分を指摘するのがいちいちしんどい。

共有できる経験のある対等な仲間うちでもレッテルを貼りあうと、会話が成り立たない。例えば、「女」だとか「セクシュアルマイノリティ」という部分でつながれそうだったら、なおさら自分と違う部分が相手にはあることに自覚的でいたい。一面的な相似性に依存したくない。同じことを強要したくない。一人一人は違うところも多いし、自分の想像力には限りがあることを分かっているつもりじゃなくて、分かっていたい。

結局は誰もに自分が相手とは違うことを分かって欲しい、というのが言いたいだけなのに、実際のところ私はうまく伝えられないでいる。それで、私は相手のことを、「あーへテロはみんなそうなんだ」とか「heterosexist(異性愛絶対主義者)」なんて逆に決め付けるので、やっぱり「ヘテロ」とはコミュニケーションが取れない。

ただ、自分を差別する相手と無理に会話を成立させなくてもいいや、と思えばいいだけのことなんだけどね。疲れるのだ。相手のほうが自分より強者だから。


Text by Janis Cherry
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    2003年12月30日追記:「ヘテロ」はヘテロセクシャル指向というより、異性愛絶対主義(者)の意味。男性のほとんどが性差別主義者であるように、異性愛者のほとんどは異性愛絶対主義者だし、頭で自分は異性愛者ではないと思っている人でも、その多くは異性愛絶対主義的な考えを強く保持している。


    30.12.03 updated
    28.12.03
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