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"Necessary Targets: A Story of Women and War"
by Eve Ensler
ペーパーバック
出版社: Random House (P) ; ISBN: 0375756035 ; (01/2001)

"Necessary Targets"(NT;直訳すると「必要とされた標的」)は "The Vagina Monologues"(VT;邦題は「ヴァギナ・モノローグ」) の次に発表されたイヴ エンスラーによる舞台脚本である。副題は "a story of women and war" --- 女性と戦争についての話。

1992年、旧ユーゴスラビアの紛争では「民族浄化」の戦術として 2万から7万人の女性が強姦の被害にあった。その多くは何日も、何週間も、何ヶ月も捕らわれ、また殺された。

その集団レイプのあった直後、アメリカ人精神科医とその助手がボスニア女性難民たちを「助けに」行くところから物語は始まる。
VMと同じく、エンスラーが現地の難民キャンプでインタビューをし、それを元に書かれているが、NTはモノローグではなく、7人の女性が登場する演劇。

50歳手前、26年の臨床経験を持つ精神科医JS、世界中の紛争地域での心的外傷についての本を執筆中という助手 Melissa、それから難民女性たち; 空想の世界に浸っている村一番の美人だった20代の Seada、40代で戦争後は夫の暴力が絶えないアルコール依存 Jelena、ハリウッド映画とアメリカに憧れる混血の少女 Nuna、70代にして生まれ育った村から出たことがなかった Azra、そしてJSと同年代 小児科医師だった Zlata。

主役、準主役は次の3人。

JS
ニューヨークで成功している精神科医で、本も出版している。大統領の命でボスニアにボランティアとして派遣される。患者とは専門家として自分との距離を一定に保ち、個人として相手に自分の領域には立ち入らせない。けれども、自分の患者たちは実は一向に快復しなかったことを Zlata に吐露している。

Melissa
JS より若く、仕事を全力でこなす気力に溢れた人物である。後に引くということを絶対しない。自分がかわいそうで惨めだなどと言われたくないと言い放ち、より悲惨な状況を求めて、紛争各地を転々としている。

Zlata
曲者である。JS と同じように社会的に成功していたが、戦争難民になった。その後も医者としての高い理想をずっと持っており、プライドも高い。JS の個人的に関わらないようにするずるさに、Melissa の性急なやり方に、意見する。結果、JS は彼女に「個人的に」惹かれていくのだけれど。

NYでは、Melyl Streep、Anjelica Huston、Calista Flockhartのメンバーで上演されたという。ストリープを思わせると JS が言われるシーンもあり、これはニヤリとさせられる配役。

戦争の話ではあるが、生々しい殺し合い描写はない。戦「後」が主題となりうることについてエンスラーは述べている。
It is the bambing, the explosions in the dark, that keep us watching. As long as there are snipers outside of Srajevo, Srajevo exists. But after bombing, after the snipers, that's when the real war begins. (page xiii)
爆弾が落とされたあと、攻撃が収まったあとに、本当の戦争は始まる、と。

*

残念なことに、実際NYでの商業上演(上記とは別の役者によるもの)に対する評は思わしくない。作者であるエンスラーに対する意見がどれも厳しい。おそらく、「戦争の話」を期待していた批評家たちを裏切っているからだろう。
もちろん悲惨なエピソードは語られている。何も持ち得ない人々は、それ以上攻撃されようがないことも、皮肉られている。けれども、戦争の最中にあっても戦後であっても戦争そのものはここでは主題でない。主題はあくまでも登場する女性たちで、そのしぶとさだとか、強さだとか、悲しみだとか、怒りだとか、ユーモアだとか、それから連帯だとか信頼だとか回復だとか成長だとか、そういった部分をエンスラーは描こうとしている。

私は、JS と Zlata のラブストーリーとして勝手に読み、ゾクゾクしてしまった。(彼女たちの関係の変化が「恋愛」かについて明確な答えは書かれていない)

*

JS は J.S.Bach から名づけられ、若いころ父親に音楽の力に感情を流されない、歌手としての訓練を受けていた。そして音楽に揺り動かされる自分は歌手になれないと、歌うことをやめてしまったという。でもあなたは本当にそういう歌手になりたかったのか、歌いたかっただけじゃないのか。Zlata との会話にそんなくだりがある。それはそのまま、人を助けたくて医者になったが患者は快復しない。そのくせ「医者」として成功している現実の矛盾に通じている。

調べてみると、エンスラーという人は近代以降の西洋医学とは別系統の癒しについても関わっている。(Omega Institute for Holistic Studies: http://www.eomega.org/) この矛盾を突いたのはこういった影響もあるのだろう。

*

この作品が公に出ようとしていたころにNYでテロがあり(2001年9月)、おそらく不可抗力に阻まれただろうことは、まったく不遇としか言いようがない。

戦争における殺戮やレイプは、他人事だと、多くのアメリカ人は思っている。自分たちには関係のない頭のおかしな連中が罪を犯し、犯された被害者は気が違うのだと、私たちは思いがちかもしれない。けれどそれは違うのだと、被害も、加害さえも私たちに起こりうることなのだと、エンスラーは懸命に訴えている。しかし有名な(多くは男性の)批評家に評価されない限り、繰り返しは上演されない。客が観劇に来ない限り、メッセージは届かない。

物語の終わりに近いところで、JS は Melissa を責める。あなたが本を書くために、彼女たちは不幸な目に遭ったのではない。世界中の人が真実を知ると言うけれど、もしもあなたの本を誰も読まなかったら、彼女たちを傷つけてしまうほどのあなたの性急さに、どれほどの意味があるのか、と。

一方でエンスラーはこのように書いている。

... how do you make destruction mater? How do you make people's suffering thousands of miles away matter? How do you make this world, this life, in all its mystery and injustice, matter?
     Maybe this is the purpose of art, and theater in particular --- to experience what we experience, to see what's in front of us, to allow the truth in, with all its sorrow and brutality, because in the theater we are not alone in our worried and stained beds. (page xv)

日常が破壊されていくのを、遠く離れた土地で苦しむ人々のことを、どうしたら身近に感じられるというのだろう。世界が、不可解で不公平でしかないこの生き様が、どうやったら私たちの問題になりえるというのか。
もしかしたら、そこにアートの持つ意味が、特に演劇の意味があるのかもしれない。すべての喪失と惨忍さを供に、ことを目の前にし、ステージを通して体験を私たちは共有し、真実は晒される。少なくとも劇場では、一人眠れずに涙する夜をすごすのではないのだから。


16.03.03
Reviewed by Janis Cherry [ janis_cherry(at)selfishprotein.net ]
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    << バルカン半島、ボスニア紛争参考URL >>
  • "Bosnia: Uncertain Paths to Peace" A Project of The New York Times Electronic Media Company (English)
    http://www.pixelpress.org/bosnia/index.html

  • 田中宇の国際ニュース解説
    http://tanakanews.com/
  • バルカンの憎しみとコソボの悲劇 1998.10.27
  • 憎しみのバルカン(2):戦争を利用する人々 1998.10.30
  • ユーゴスラビア:自国への空爆を招き入れた大統領 1999.4.1
  • ユーゴ戦争:アメリカ色に染まる欧州軍 1999.4.5
  • バルカン半島を破滅に導くアメリカの誤算 1999.7.12



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